戻りたいあの頃。だけど生きているのは今目の前。

今日は長男の話。

今年の4月に無事新一年生となり、小学校に通っている長男。

 

①番目の子なのもあり、溺愛。

そして一番悩み、一番構いすぎ、一番縛り付けてしまったのではないかと思う存在。

 

 

先日、使っているMACをアップロードした際に

デスクトップの設定が初期に戻ってしまい、

今まで入れていた家族写真を探しにフォルダを見に行った。

 

「2020年桜」と名付けたフォルダに入っていた一枚の写真。

 

それを撮影する前の出来事が鮮明に思い返され

「ごめんね」と思った一枚があった。

 

その前後数枚の長男の写真は、

泣き腫らした目に、桜の絶景とは対比的に光を感じない目。

 

何がきっかけだったか、どんなやりとりをしたか覚えていないけど、

私が余裕なく怒った記憶がわずかにある。

 

だけど、この時も今と変わらず長男はたくましく

賢かったんだと今思えばわかる。

 

ただ、私がそれを信じてあげられなかっただけ。

彼のいうことに、耳を傾けられなかっただけ。

 

こんな表情で、他の兄弟はキャッキャと笑っており、

彼がどんな気持ちでこの空間にいたんだろうなと考えると

激しく反省する。

 

あれから約1年。

一人で学校に行き、一人で歩いて帰ってきて

一人で宿題、明日の準備、タブレット片手にくつろぐ。。。

 

この子が小学生になれるのだろうかと

一種のブルーに陥ってた3月が嘘のように

私も彼の成長には驚かされる。

 

「子を信じる」

 

これは本当に容易なことではない。

 

数々の児童心理を生み出してきた哲学者でも、

その思考や身体の発達は分析できても、

一人一人に合わせた子育ての方法は論じていない。

 

そう考えると今の彼の姿を見て、

彼との葛藤した密な子育ての日々が

彼と私だけの子育てのノウハウを紡ぎあげており、

ものすごいエネルギーを使ったけれども

それは何一つ無駄なことはなく、確実にこの「今」に繋がっていて、

彼の未来だけでなく、

ありがたいことに看護学生として歩み出した私の人生にも

大きく影響を与えてくれている。

 

こう、自分の失態をさらけ出せる今もその一つ。

 

私は人様に見せられない裏の顔を持った母親なんだ。

 

とばかり思っていたので、

自分でも心境の変化に驚く。

 

こうなると、あとは自分たちの望むように進んでいくだけで

「ごめんね」と思うこの写真とも、というより過去の時間とも

しっかり向き合えているのである。

 

過去をどうにかしたい、過去を思い出したくない人の中には

過去の自分を受け入れられない今の自分があるのではないだろうか。

 

今の自分、環境、仕事、育児・・・

 

「今」を何より自分が納得いく生き方をしている人は

案外、他人からも、

さらに「過去の自分」からも脅かされることはないと思う。

 

もし過去のトラウマで長男が(トラウマを与えたのは私かもしれないがww)

自己肯定感の低さに悩むときがきたら、

彼の過去へ謝罪するのではなく、

彼の「今」を肯定し信じてあげたいと思う。

 

乱文ながら、だーっと思いついたのでUP。

 

口調がいつもと違うのは、

学校でレポート書きまくりだから

論文口調になっております。悪しからず。

 

「今日が一番いい日」